2011/09/14
台風の被害ということで作業の内容は会津の延長上にあると思っていました。
ところが到着してみて驚いたのは津波の延長上にあるのだということ。
車は転がり潰れ住宅の姿も瓦礫もまたしかり。
何より特徴的だったのは家の基礎が大きく抉られているところ。
また面で大きなエネルギーが加わったというより点で破壊されています。
強力なミサイルが当たったような今までに見たことのない姿は恐怖でした。
もちろん津波ともまた違う箇所も見受けられるのですが
とにかく一軒でも多くの家から泥を出さないことには始まりません。
布団や家具なども同じです。
寝不足の身体にはキツいけれど莫大な量の泥も黙々と作業していれば、やがて片付きます。
次から次へと多い日には4軒の泥処理をした日もありました。
今までにないようなハイペースです。
一体、何トンの泥を出したのだろう。
この天気ですから畳もそろそろ腐り始めています。
水と泥をたっぷり吸って染みこんだ畳はハンパじゃなく重たいです。
特に、こちらの地域の畳は珍しいつくりで東北の太平洋側のものとも会津のものとも違い
質量っていうんですかね。ギッチリ詰まっているような畳です。
だから本当に重たくて2人でも持てないぐらい。
さらに大きなお宅が多いから運び出す枚数もハンパじゃありません。
活動していたのは那智勝浦町の井関地区。
特に被害が大きい地区だけに毎日200人いても1ヶ月は充分かかるような地域です。
ところがボランティアセンターからは1人も派遣してくれません。
「おかしい」
そう思って訊ねると、とにかく人数が集まらないとのこと。
「県外からのボランティアは受け入れない」というのが彼らの主張であったからです。
用事があって被害の少ない地域に出ると、そこには日常がありました。
こんな時ぐらいボランティアしてもいいんじゃない?とは思うけれど
どこの被災地に行ってもそんなもんです。
警察はスピードの取り締まりをしているし重機は高速道路の延長工事をしています。
「とにかく手が足りてないんだ。手伝ってくれ~」と叫びたくなるけれど
これまた被災地ではよくあること。
それでも県外からボランティアに来ている人たちが集まる。
センターの前で待機したまま時間だけが過ぎてゆく。それで一日が終わる。
これは異常だと感じました。
もう本気で一旦住民票を和歌山県に移そうかと本気で考えてしまったほど。
それじゃ良い方向には向かいません。
しかし9・11の時だってアメリカ中からボランティアが集まったじゃないですか。
その時に「他の州からは受け入れません」なんてなかったしナンセンスでしょう。
こうしている間にもすべてのものが腐ってゆく。
なのに
被害の小さな地域では県外を受け入れ
被害の大きな地域では県外を受け入れない。
センターの中でも被害の小さな地区から活動を始める。
つまり被害の大きい地域では手がつけられない。
甚大な被害を受けた地区の方々からは
「神からも見捨てられ行政にも見捨てられた」
という声が聞こえてきます。
残された道はセンターを頼らずにやるということ。
地区の中で空き家を借り、そこをベースにしながら活動するというものです。
先に書いた状況だから「ボランティアにやってきました。お困りのこと、ありませんか?」
なんて伺うと「今さら来て何言ってんだ!おれたちは町に裏切られた思いでいっぱいだぞ」
なんて叱られることも。
「冗談じゃねぇ、オレたちゃ県外から来てるんだ」なんて言いたいのは山々なんですが
喧嘩しても泥は片付きません。
充分にストレスを解消してもらうのも一つのボランティアですから。
あとは働きぶりを見てもらうしかないんです。
自分たちは10人ほどで活動していました。
初期の動きで今後が決まるから皆、必死です。
通常の4倍の働きをするにはスピードで2倍。
労働時間を倍にすることでトータル4倍の働きをしていました。
普段は個人でできることをやるけれど、そんなこと言ってられません。
今回は
石巻で普段活動している絆の皆さんと行動しました。
日の出から日没まで営業です。
フルマラソンを1日2本走ったような状況が毎日続きました。
土日には200名集まった県内ボランティアも平日になり30名ほどに。
住民からは救援の要請がどんどん集まってきます。
それに対してこなせない現実。
そこで、ようやく県外ボランティアを受け入れそうだと情報が入りました。
よく決断してくれたと思います。
ありがとう!
これで井関地区、八反田地区、市野々地区の状況はどんどんよくなっていくでしょう。
詳しくは
こちらのサイトをご覧ください。
県内外なんて関係ないと思うのは、こちらの勝手なのかもしれません。
考えてみれば日本中どこも多少の違いはあるものの、そんなもんです。
それでも自分は日本が大好きだし鉄道の走る場所には思い入れが強いです。
ただ、これを機に何かが変わると信じています。
震災による津波。度重なる台風の爪あと。
それを日本全体が救うことで今、大きく変わる時なんじゃないかと思うのです。
これから1ヶ月は、まさに勝負だと感じます。
東京からだと遠いですが
高速無料で走れる
災害派遣等従事車両証明書もようやく発行されるようになりました。
名古屋を通ると遠いですけど無料ならばね。
とりあえずダウンロードして必要事項を書いて和歌山県災害ボランティアセンターにFAXします。
すると捺印されたものが返ってくるので、それを市役所などの総務課に持っていって
車輌証明所書を発行してもらいます。
でも、ここで注意するのは走行する日に余裕を持たせるということ。
たとえば13日に活動しようとするでしょ。
でも、13日に出たんじゃ間に合わないから12日に出ようとしても
日付が変わるまで入口に入れないなんてことも。
帰りも走行してたら日付が変わっちゃったからダメです。
もう押し問答するのも嫌なぐらい疲れ果ててると思うので
13日~14日という具合に巾を持たせた記入をお願いするとやってくれるので、おすすめです。
「長距離の運転が苦手」という方は伊良湖から鳥羽まで結ぶフェリーを使うというのも手だと思います。
http://www.isewanferry.co.jp/鉄道の活性化は地域から
地域の活性化は鉄道から
切っても切り離せない関係にある鉄道と地域の関係。
鉄道が好きな方は地域を救って鉄道を救いましょう。
グループで行くのもおすすめです。
燃料代をシェアできるし運転の疲労度も違ってくるでしょう。
本当に疲れるし危ないし嫌な思いをすることもあると思います。
「いいことばかり」なんてことはないと断言できます。
必ずしも正義の味方と感謝されることばかりじゃありません。
肩書きよりも「どう生きているか」が大切。
やれるヤツは、どんなに忙しくても来る。
時間の使い方がハンパじゃなくうまい。
動きにもムダがない。
震災以来の日本では大切なことが変わってきているのだと感じました。
もし行ける日になってもまだ県外ボランティアの受け入れがしてもらえないようでしたら
直接、井関の絆ベースを訪ねてください。
大きな地図で見るただ、行くまでには通行規制があるし現地には駐車場もありません。
【通行止め時間】
・8:00~10:00
・10:30~12:30
・13:00~15:00
・15:30~17:00
【通行可能時間】
・10:00~10:30
・12:30~13:00
・15:00~15:30
そこで那智駅(現在休止中で道の駅と併設)の駐車場に停めて歩くという方法があります。
もし可能ならば自転車が便利です。
そのための自転車も近々配備できるようになると思うのですが。
またスコップなどは石巻から移動したものがベースにたくさんあります。
軍手と長靴だけは用意してください。
軍手はゴムがついたものを2~3つあるといいでしょう。
長靴は鉄板入りか踏み抜き防止のソールを入れないと簡単に釘が足を貫通するので注意。
今週末は、ひたちなかで悲願のツアーをまず成功させてから再び那智勝浦の井関地区に向かいます。
そのため現在開催されている2つの写真展も行くことができません。
本当に申し訳ないと思うんですが皆さんなら今、本当に何をしたらいいか分かってもらえるんじゃないかと思います。
だから行きますね。
アクセスは
こちら。
バスも使えるかも。
通行止めの情報(9日現在)
内陸からのアプローチは無理だと思ったほうがいいかもしれません。
海沿いの道(42号)は名古屋方面からだと新宮と那智勝浦付近でハンパじゃなく渋滞します。
早朝と夜間の移動がおすすめです。
燃料や食料は那智勝浦の街で手に入ります。
ただ活動地域では何も売っていないので飲料水や食料は事前に用意しておきましょう。
昨日、今日と大学生のエンドー君が絆と合流して作業しています。
彼もまた時間がない中うまく時間をつくって行ったのだとか。
本当にお疲れ様。
頑張ったね。
学校では学べないことを学べたんじゃないかと思います。
そして、それは今後必ず役立つものだから。
これからも頑張って!
応援してます。